COUNT UP!

COUNT UP! ―― PERFECTに挑む、プロダーツプレイヤー列伝。
―― PERFECTに参戦するプロダーツプレーヤーは約1,700人。
彼ら彼女らは、何を求め、何を夢み、何を犠牲に戦いの場に臨んでいるのか。実力者、ソフトダーツの草創期を支えたベテラン、気鋭の新人・・・。ダーツを仕事にしたプロフェッショナルたちの、技術と人間像を追う。
2015年4月27日 更新(連載第56回)
Leg12
I’ll be back! PERFECTという場に、そして再び栄光の玉座に
山田勇樹

Leg12 山田勇樹(4)
決断と実行

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山田勇樹の完全復活か、知野真澄の3連勝か――。2014年第10戦横浜大会の決勝はフルセットにもつれ込んだ。

この日の山田の調子は「普通」。できれば、復帰後の鬼門だったベスト16までは、ランカーとは対戦したくない。そう思って臨んだ戦いで、思惑通り決勝トーナメント序盤にはビッグネームとの対戦はなかった。順当に勝ち上がり、ベスト16で開幕戦優勝の樋口雄也を、準決勝では宿敵・浅田斉吾を倒して、決勝に進む。

セットカウント1-1で迎えた最終第3セットの第1レグは山田先攻のクリケット。フルレグ勝負と見立てていた山田は、第1レグをキープすることが復活優勝への最低条件と自らに言い聞かせていた。

ZOOM UP LEG

2014 PERFECT【第10戦 横浜】
決勝戦 第3セット 第1レグ「クリケット」

山田 勇樹(先攻)   知野 真澄(後攻)
1st 2nd 3rd to go   1st 2nd 3rd to go
20 20 × 0 1R 20T 20 20 40
19T 20 19 19 2R 18T 19 19T 40
17T 17T 18 70 3R 18T 17T 18T 148
16 15 × 70 4R 16 16T 15 164
15T 15T 15T 175 5R 15 × × 164
16T 18T 15 190 6R OBL OBL 15 164
OBL DBL 190
WIN
7R
T=トリプル D=ダブル OBL=アウトブル

気負いが勝ちすぎたのか、山田の1Rは20の2マーク。知野は1投目に20をオープンし、4マークでスタートした。第2Rの山田は1投目に19をオープンし、2投目に知野の20をカット。3投目のプッシュはシングルとなり5マーク。知野は1投目に18をオープンし、3投目に山田の19をカットする。

第3R。山田は1、2投目にトリプル17でポイントオーバーすると、3投目に知野の18をカットにいくがシングルに。知野は1投目に山田がカットできなかった18をトリプルでプッシュし、2投目に山田陣の17をカット。3投目は再び18をトリプルでプッシュする。ポイントは山田70対知野148。山田が獲得した陣地はすべてカットされ、知野は18を保持。先攻後攻が完全に入れ替わった形で知野の有利で序盤を終えた。

第4R。戦況を逆転したい山田だったが、1投目はシングル16、ターゲットを変えた2投目もシングル15。3投目はミスショットとなり、痛恨の2マーク。山田は知野のブレイクを覚悟する。対する知野は、5マーク。16をオープンするも、15の獲得には失敗し、ブレイクを決定づけるには至らない。

第5R。山田が起死回生のスリー・イン・ア・ベットで15を獲得し105ポイントを積んでポイントオーバー。知野にプレッシャーを与える。知野は1投目の15がシングルとなり、2、3投目は連続でミスショット。戦況は一気に緊迫した。ポイントは山田175対知野164、陣地は山田が15、知野は18と16を保持する戦況となった。

終盤の第6R。ベットで勢いを得た山田は1投目のトリプル16、2投目のトリプル18で知野の陣地をカットした。この時点でポイント差は11。山田が15ポイント以上積めば、知野の第6Rでの勝ちはなくなる。3投目。トリプルは外すも山田はシングルに捩じ込み、第1レグの勝利を決定づけた。

半年で大学を中退

時計の針を2002年に戻す。この春、僅か3カ月の猛勉強で国立大学の経営学部に入学した山田だったが、秋には大学を事実上中退して地元の熊本に帰った。

理由は「自分は(ここにいる人たちとは)違う」と思ったからだ。同級生の多くは志を持って大学に入学していた。公認会計士になりたい、税理士になりたい、一流企業に入社したい…。勉学への意識が高く、大学の他に夜に簿記の専門学校で学ぶ者もいた。

高校時代ラグビーに明け暮れ、「とにかく国立大学に」とだけ考えて進学した山田には目標がなかった。自分はどうしていくのか、何をしたいのか…。18歳の山田は自問する。

店をやりたいと思った。幼い頃から両親の背中を見て育った。自分も店を持ちたい。理髪店か美容院か、とにかく店を持って大きくしたい。そのためには大学にいても糧は得られない。

山田の肝

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決断は早かった。夏休みに両親を説得して秋には故郷に帰った。周りは折角国立大学に合格したのにと残念がったが、山田に迷いはなかった。

「甘い考えだったと思います」と山田は振り返る。「ダメ人間でした」とも言った。が、そうだろうか。確かに軽率もあった。望んで経営学部に入った訳ではない。入れる大学、入れる学部を選んだ結果だった。そのように思慮なく進路を決めれば、いずれ息詰まるのは必定である。

しかし、そこからが山田は違った。多くの人は迷っても何もしない。国立大学をあっさり中退などできない。が、山田はしっかり自問し、素早く決断し、次の道に進む。その決断力と実行力、そして山田が強調する強運こそ、山田を山田たらしめている肝であり、山田をダーツのトッププレイヤーに導くことになった原動力だと、私は思う。

大学を中退して間もなく、山田はダーツと出会うことになる。

毎月10万円

熊本に帰った翌年、山田は美容専門学校に入学する。そして5月、ダーツと出会った。

大学を中退し、両親に迷惑をかけた。山田はその穴埋めのため、専門学校に通いながら夜はバーでアルバイトを始めた。そこにソフトダーツのマシーンが設置されたのがきっかけだった。

最初はお金がかかる遊びに見向きもしなかった。が、客持ちで相手をしているうちに、虜になった。11月、福岡のTiTOに遊びにいって感動した。そこには沢山の客がいた。こんな店のオーナーになりたい。山田は眼を輝かせた。

翌2004年、オープニングスタッフとしてTiTO熊本店にアルバイトで入店し、バーテンダーとして働き始めた。それから、ダーツを投げに投げた。毎月10万円を注ぎ込んだ。お金がなくなると、後に妻となる彼女に借りた。

内定を断り、フェリックスに入社

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翌年、専門学校を卒業し美容師国家試験に合格した山田は、内定していた美容院には就職せず、TiTOを運営するフェリックスに入社した。2度目の方向転換にも迷いはなかった。国家試験に合格したのも、美容院に内定をもらったのも、山田なりのけじめだった。

この会社で出世していずれは自分の店を持つ――。明確な目標を持った入社後の山田は、馬車馬のように働く。客とのダーツも仕事。上手いスタッフがいる店には客が集まる。秋に店長に抜擢されると、売上を上げるためにダーツの練習に励んだ。「仕事を覚えるために一番忙しい店で働きたい」。翌年には志願して福岡に転勤する。その先に、プロプレイヤーへの道が続いていた。

(つづく)


次回は4月13日更新予定
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○ライター紹介

岩本 宣明(いわもと のあ)

1961年、キリスト教伝道師の家に生まれる。

京都大学文学部哲学科卒業宗教学専攻。舞台照明家、毎日新聞社会部記者を経て、1993年からフリー。戯曲『新聞記者』(『新聞のつくり方』と改題し社会評論社より出版)で菊池寛ドラマ賞受賞(文藝春秋主催)。

著書に『新宿リトルバンコク』(旬報社)、『ひょっこり クック諸島』(NTT出版)などがある。