COUNT UP!

COUNT UP! ―― PERFECTに挑む、プロダーツプレイヤー列伝。
―― PERFECTに参戦するプロダーツプレーヤーは約1,700人。
彼ら彼女らは、何を求め、何を夢み、何を犠牲に戦いの場に臨んでいるのか。実力者、ソフトダーツの草創期を支えたベテラン、気鋭の新人・・・。ダーツを仕事にしたプロフェッショナルたちの、技術と人間像を追う。
2015年11月9日 更新(連載第69回)
Leg14
新たなる修羅の地で彷徨えし貴公子 復活を賭けた「精密機械」 その魂の咆哮
知野真澄

Leg14 知野真澄(5)
「絶対に消えない」

長かった… 長かったよ! まったく!
1年だよ1年!
兎にも角にも愛媛大会Perfect初優勝しました( ̄^ ̄)ゞ
折れずに応援して下さった方々本当にお待たせしました
本当にありがとう(T_T)
諦めなければチャンスは来るんです!これに驕らず次に向けて頑張ります!

―― 知野真澄「D真澄Cブログ」2013年6月3日より

2013年6月2日、13年季第8戦愛媛大会で、PERFECT初優勝を飾った知野真澄は、翌日の自身のブログにそう記した。当日の優勝インタビューでは、「苦渋の半年間、約1年間、踏ん張り踏ん張り頑張ってきて、やっと優勝できました。ランキング1位が取れるように頑張ります」と語り、翌々日のブログでは「(優勝で)吹っ切れた」とも、書いている。

確かに、一条の光は差した。が、それは束の間のことだった。長いスランプは、終焉を迎えた訳ではなかった。

浅田に4連敗――2012年

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2012年9月、D-CROWNの消滅を受け、知野は浅野眞弥・ゆかり夫妻、大内麻由美、佐藤敬治らとともに、PERFECTに移籍した。前年は2連連続の年間2位。12年は途中終了ながら年間総合1位。「D-CROWNの貴公子」は、「最後の年間王者」の看板を背負って、PERFECTに乗り込んできた。

当時のPERFECTは“皇帝”と呼ばれた星野光正を追って、山田勇樹、浅田斉吾、山本信博、小野恵太らが台頭し、「1強時代」から「4強時代」へ勢力図が変わりつつある過渡期にあった。そこに、知野の登場である。知野がPERFECTの実力者相手に、とどのような戦いを見せるのか、ファンの熱い視線が注がれた。が、結果が出ない。

移籍第1戦は3回戦敗退。2戦目はベスト4まで勝ち残ったが、準決勝で浅田に苦杯を嘗めさせられた。3戦目は2回戦敗退。続く、4、5戦目は連続で浅田に敗れ、6戦目はベスト8で、学生時代からの盟友、小野恵太に上位進出を阻まれる。そして迎えた7戦目、12年季最終戦では、年間王者を確定させていた山田を破り、2度目の準決勝進出を果たしながら、浅田の壁に跳ね返され、同一カード4連敗の屈辱を味合う。途中参戦の12年季の成績は、7戦を戦い、ベスト4、ベスト8がそれぞれ2回に終わった。

山本に3連敗――2013年

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「年間王者奪取」を胸に秘めて迎えた2013年も、先回りをして言えば、惨憺たる結果でシーズンを終えることになる。シーズン序盤の第7戦まで、ベスト4とベスト16が1度ずつあっただけで、残りはすべて2、3回戦までに敗退。上位選手と戦ったのは、開幕戦の星野と第7戦の浅田のみで、ランカーに勝てないだけでなく、対戦すらできない状況に甘んじた。

第8戦愛媛大会では、初めての決勝で、前季4勝の山本を破り、移籍後初優勝。「吹っ切れた」「年間王者を目指す」とブログに記した。が、次節第9戦以降は再び精彩を失い、第19戦まで11戦連続でベスト8に残れない。第15戦からは3戦連続で、愛媛の決勝で破った山本に苦杯を喫し、強烈なしっぺ返しを喰らった。

第20戦はベスト8で浅田に敗退、最終戦はベスト16で谷内太郎に負けた。年間総合7位。上位ランカーとの直接対決は、山田に1敗、浅田に2敗、山本に1勝3敗。目標と結果のあまりの落差に知野は肩を落とす。

決勝トーナメント1回戦敗退

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第19戦熊本大会は、どん底を味わった知野の2013年を象徴する大会だった。この日、知野は決勝トーナメント1回戦で敗退する。対戦相手は向當知弘。PERFECT3年目のスポット参戦の選手で、この年の年間ランキングは70位前後ながら、7月の第12戦広島大会ではファイナリストになった実績を持つ、侮れない相手ではあった。

向當は広島の準優勝の後、調子を落とし、予選落ちが続いていた。が、前節の第18戦では予選ロビンを突破し、決勝トーナメント3回戦で、初対戦の知野に敗れた。この日も、予選ロビンで山本信博に土をつけ、2戦連続で決勝トーナメントに進出。調子が上向いている手応えを感じていた。

向當がダーツを始めた大学生の時、知野はすでにDVDやネット配信の「動画の中の人」だった。試合会場で見かければ、オーラも感じる。が、年齢は同じ。スター選手とは言え、同じ歳の相手に2試合連続で負けたくない。それに、知野が本調子ではないのは明らかで、自分の調子は上向き。「自分に勝ち目がない訳ではない」。向當は、巡って来たリベンジのチャンスに燃えていた。

つけ入る隙

第1レグは知野の先攻。第1Rに向當がTON80を打って吠え、知野は第3RでTON80。両者見せ場を作った戦いは拮抗し、先攻の知野がキープする。第2Rは両者精度を欠き、9Rの長丁場を向當がキープ。レグカウント1-1で迎えた第3レグに、向當が爆発する。

ZOOM UP LEG

2013 PERFECT【第19戦 熊本】
1回戦 第3レグ「クリケット」

知野 真澄(先攻)   向當 知弘(後攻)
1st 2nd 3rd to go   1st 2nd 3rd to go
T20 20 20 1R 19 T19 T19 76
20 20 60 2R T19 T20 T18 133
T17 T17 111 3R 19 T19 T17 209
16 111 4R T16 15 15 209
15 T15 T15 171 5R 15 T19 266
OBL OBL OBL 171 6R OBL IBL 266
WIN
T=トリプル D=ダブル IBL=インブル OBL=アウトブル

先攻の知野は5マークスタート。対する向當は7マーク。続く第2R。精彩を欠く知野は2マーク。1投目は20ゾーンも外した。ここで、後攻の不利を逆転するチャンスを得た向當が牙を剥く。1投目に19をプッシュ、2投目で20をカット、3投目で18をオープンするホワイトホースで力強くガッツポーズ。知野に渾身の一撃を見舞った。

第3R。知野は17の6マークで、態勢の立て直しにかかるが、向當は集中力を切らさず7マークでリードを死守。知野陣の17をカットし、開いている陣地で2つ、ポイントで98の差をつける。

第4R。レグキープに後がなくなった知野はルーティーンを変えず淡々とボードに向かうが、ダーツはコントロールを失う。1投目、2投目ともターゲットを大きく外しミスショット。3投目もトリプルは外し、16のシングル。陣地もポイントも得られない。勝利を確かなものとしたい向當は1投目に16をオープンして5マーク。さらに差を広げた。

第5R。知野はこのレグ初の7マークでなんとか意地を見せるが、焼け石に水。向當は4マークながら、知野陣の15をカットし、トリプル19で57ポイントを加点して、大勢を決した。

第4レグは、第1RでTON80、第2Rで121を打った向當が知野を圧倒しキープ。レグカウント3-1で大金星を挙げた。

番狂わせではあったが、向當の勝利はフロックではなかった。知野は、格下の相手に、対戦前から「勝ち目がない訳ではない」と思わせてしまっていた。向當はPERFECTの移籍してからの知野の戦いぶり、試合当日の自分の調子、そして、この対戦にかける両者のモチベーション(リベンジに燃える自分と、格下相手の1回戦と思っているはずの知野)を冷静に分析して、「勝ち目がない訳ではない」と思っていた。

試合を振り返って、向當は言う。「知野選手は素晴らしいプレイヤーですが、PERFECTに移籍してから2013年シーズンが終わるまで、それ以前のダーツが打てていないのは明白でした。そこに、付け入る隙があったのだと思います」

ルールの違い

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連載第1回で触れた通り、知野は不振の1年半の後、2014年シーズンに見事復活。年間王者を奪取しただけでなく、史上初の大会4連覇、史上初の3冠王者の勲章も手に入れる活躍を見せた。

では、移籍後の1年半に、知野に何が起こっていたのか。どのようにして知野は不振を抜け出したのか。知野を支えていたのは何だったのか。

不振の原因について、知野は「慣れるのに、思ったより時間がかかった」と、振り返る。仲間意識が強く“家族的”と言われたD-CROWNに対し、PERFECTの中心選手は闘争心旺盛で、選手間でライバル意識が強かった。勿論、戦う面子も違う。自ずと、大会の雰囲気はがらりと変わる。些細なことのようだが、それに慣れるのに時間がかかった。

一番大きかったのは、試合の「ルールの違いだった」とも言う。PERFECT男子の01はセパレート・ブルの501。上位の選手なら4Rで決着がつくことは珍しくない短期決戦である。1本の失投が命取りになることもあり、番狂わせが起こりやすい。他方、D-CROWNはセパレート・ブルの701。序盤にリードを許しても逆転しやすく、勝敗に実力差が反映されやすい。のんびりした性格の知野は701の方がやり易い。決勝トーナメント序盤で格下相手に取りこぼしが多かった理由の一つはそこにあった。

試合に出場し続ける

不振を極めた1年半。知野が自らに課してきたことがある。それは、いくら優勝できなくても、勝てなくても、絶対に試合に出場し続けること、呼ばれたイベントには必ず出演すること、だった。

高校生の頃から見てきたダーツの世界で、いつの間にか消えた人を何人も見てきた。彗星のように現れ、脚光を浴び、勝てなくなると姿を消す。一度消えた人が、この世界に戻って来ることはない。

消えた人たちは、こういう時期に休んでしまったのではなかったか。今、休むと自分もそうなるのかも知れない。不振の日々にそんな考えが浮かんだ。だから、自分は休まない。そう心に決めた。自分は絶対に消えない。知野は強い意志を持って自らを鼓舞し、不振の時期を堪えていた。

心の支え

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ダーツを始めて、初めて経験するスランプを苦しむ知野を支えていたのは、自信と周りの人々だった。

知野には、絶対に復活できるという自信があった。「今、勝てない時期が続いていても、やるべきことをやって、休まずに出場し続けていれば、いつか必ず、復活の時がくるはずだ」。そう思い続けていた。それは、D-CROWNで積み重ねてきた実績に裏打ちされた自信だった。自信があったからこそ、復活を信じ、待つことができた。

そして、知野は、復活を信じて見守ってくれる人々に恵まれていた。負け続けていても応援してくれるファン。浅野夫妻や谷内太郎ら、励ましくれる先輩たち。そして、PERFECTで知り合った新しい仲間たち。それらの人々に囲まれ、心の支えを失うことはなかった。

「ぽっと出てきて、1、2年で消えてしまう選手を沢山見てきました。だから僕は、5年、10年第一線で戦い続ける選手を評価する」――。知野が「ダーツ界の父」と慕う浅野眞弥の言葉だ。知野が浅野から直接そう言われたかどうかは知らない。が、知野は自らを信じ、浅野が評価する選手となるべく、復活を果たす。

(つづく)


次回は4月13日更新予定
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○ライター紹介

岩本 宣明(いわもと のあ)

1961年、キリスト教伝道師の家に生まれる。

京都大学文学部哲学科卒業宗教学専攻。舞台照明家、毎日新聞社会部記者を経て、1993年からフリー。戯曲『新聞記者』(『新聞のつくり方』と改題し社会評論社より出版)で菊池寛ドラマ賞受賞(文藝春秋主催)。

著書に『新宿リトルバンコク』(旬報社)、『ひょっこり クック諸島』(NTT出版)などがある。