COUNT UP!

COUNT UP! ―― PERFECTに挑む、プロダーツプレイヤー列伝。
―― PERFECTに参戦するプロダーツプレーヤーは約1,700人。
彼ら彼女らは、何を求め、何を夢み、何を犠牲に戦いの場に臨んでいるのか。実力者、ソフトダーツの草創期を支えたベテラン、気鋭の新人・・・。ダーツを仕事にしたプロフェッショナルたちの、技術と人間像を追う。
2014年3月10日 更新(連載第29回)
Leg6
「ファイター」という称号を纏った一人の男、その戦いのバラード
今瀧舞

Leg6 浅田斉吾(6)
家族――妻と子

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「ダーツの神髄って、ちゃんと手が矢から離れるところだと思うんです」
 ダーツについて浅田斉吾に訊ねたときの答えだ。
「他にも大切なことはあるんですが、それは大体出来てるんです。真っ直ぐ引くとか狙う気持ちとか。でも、コンディションなどでどうにもならない部分があるんです。上手く矢が手から離れない。要はタイミングなんです。1、2、3で投げるのか、1、2で投げるのか、いろいろあるんですけど、その調整が上手くいくと、良いダーツになるんです」

13年ツアー第13戦横浜。予選ロビンの浅田は「調子が悪い」と思って投げていた。自分では1、2のタイミングで矢を放っているつもりが、硬くなって上手くいかない。が、決勝トーナメントを戦う過程でタイミングをつかむと、対戦相手をねじ伏せる本来の強さを発揮し、決勝の舞台に勝ち上がった。

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2013 PERFECT【第13戦 横浜】
決勝 第3セット 第2レグ「クリケット」

浅田 斉吾(先攻)   野島 伶支(後攻)
1st 2nd 3rd to go   1st 2nd 3rd to go
S20 T20○ S20 40 1R T19○ T19 T20● 57
T18○ T18 T19● 94 2R ×(S3) S17 S17 57
×(S3) T17○ ×(S19) 94 3R ×(T8) T15○ T15 102
T17 T15● S16 145 4R S16 T16○ T16 166
T17 D16● S17 213 5R ×(S1) ×(S12) ×(S7) 166
×(S1) IBL OBL●
WIN
213 6R
○=OPEN ●=CUT OB=アウトボード IBL=インブル OBL=アウトブル

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セットカウント1-1で迎えた第3セット第1レグのクリケットをブレイク。優勝に大手を掛けた浅田がシーソーゲームで力の差を見せつけた。

第1Rは浅田の5マークに対し、野島は9マーク。第2Rで浅田が9マークを返すと、委縮した野島は2マーク。勝負はここまでと思われたが、第3Rで珍事が起きた。

1投目を外した浅田は2投目のトリプルで17をオープン。3投目に第2Rでクローズした19を再び狙う凡ミスを犯し、苦笑いを見せる。付け入りたい野島は6マークでポイントを逆転した。

第4R。浅田はトリプルで自陣の17をプッシュしポイントを逆転すると、2投目は再びトリプルで敵陣15をクローズ。他方、野島は2投で16をオープンし、3投目のトリプルでポイントを再逆転した。

シーソーゲームとなった勝負所の第5R。プッシュとカットで堅実に6マークを打ち浅田が再逆転すると、硬くなった野島はまさかの3連続ミスショット。勝負はここまでだった。

「嫁さんが好きなだけ練習しておいでと言ってくれました」

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優勝決定の瞬間、浅田は両拳を握りしめるガッツボーズで、至福の喜びを表現した。直後のインタビューには、しばらく考えてから「嬉しいです。ありがとうございます」とだけ答えた。それ以上話すと涙がこぼれそうだった。

恒例の9ダーツTVのインタビュー。浅田は声を詰まらせ涙を拭う。口から出てきたのは妻への感謝の言葉だった。「今回、調子が悪くて、子供が夜泣きしたとかあったんですけど、嫁さんが全部見てくれて、…、嬉しいです。好きなだけ練習しておいでと言ってくれました。応援してくれる皆さんの気持ちに対して、恩返ししたい気持ちで頑張れました」

ダーツバーのオーナーに

兄剛司の庇護の元で07年のPERFECTに全戦参戦し、プロダーツプレイヤーとしての人生を歩き始めた浅田は、翌年兵庫県の芦屋にダーツバーを開業し独立する。ダーツで食べてゆく兄の生き方を倣った堅実な選択だった。
 経営が安定するまでは店を優先して、この年は5戦を欠場し年間ランクは11位。が、最終盤には3戦連続で準優勝している。対戦相手はいずれも皇帝・星野光正だった。

09年からは再び全戦参戦。09年は愛媛で2度目の優勝を果たし年間ランクは4位に。10年は9位、11年は11位だった。この間、店の経営は順調で新たに2店舗を出店した。

「勝たざるを得ない状況」

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2012年、浅田はプレイヤーとしての飛躍を遂げる。4戦に優勝し年間ランクは王者山田勇樹と僅差の3位。総合優勝の山田、最多勝の山本信博、急成長した若手の小野恵太と並び、以後、4強とも四天王とも言われる地位を不動のものにした。

ジャンプアップの訳は「勝たざるを得ない状況になった」から。前年、浅田は恵理子さんと結婚した。入籍だけで式は挙げていない。

家庭ができて責任が重くなった。賞金を稼いで生活を安定させたい。新妻のためにも結婚式は挙げたい。が、11年の成績では足りない。優勝がなければ「ぱっと結婚式を挙げるという気持ちにもなれない」。12年シーズンの開幕を前に、浅田の中で、勝ちたい気持ちと勝たなければならない重圧がそれまでになく膨らんだ。それがよい結果に結びついた。

開幕戦と第2戦を連覇し、5月の第4戦では準優勝。申し分のない成績を挙げて、この年6月、恵理子さんの夢だった結婚式を挙げた。

もう一つの「浅田斉吾という生き方」

兄と年の離れた末っ子で、家族の寵愛を受けて育った浅田は、極めて健全な家族観の持ち主だ。鴛鴦夫婦の山田勇樹夫妻に憧れ、妻を想い家族を大切にする気持ちは人一倍強い。ダーツバーのオーナー兼ダーツプレイヤーという、「普通とは違う職業」を恵理子さんに理解してもらうため、結婚する前の半年間は、ツアーに同行している。

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まだある。浅田は歯科衛生士の資格を持ち働く意欲の強い妻を理解し、子育てしながら働く恵理子さんの生き方を尊重している。夫妻には手術を要する難病を抱えた一歳の長男がおり、13年シーズン中には眠れない夜も続いた。優勝インタビューで見せた涙は、手術を間近に控えた子供と仕事を抱えながら「思う存分練習しておいで」と言ってくれた妻への、心からの感謝の涙だった。

試合中に見せる浅田の殺気。ときに「横柄」との印象を与える振る舞い。それらは、高校時代から勝負の世界で生きてきた「浅田斉吾という生き方」から滲み出てくるものだ。が、それは浅田の一面に過ぎない。仲の良い夫妻に憧れ、妻子を大切に思い、家族を守ろうと必死に勝負の世界で闘う。それも、闘う姿からは想像もつかない「浅田斉吾という生き方」の別の表情なのだ。やはり、浅田は誤解され過ぎていると思う。

「圧勝」を予感させた準優勝

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昨年のシーズン途中、浅田はダーツバーの経営を友人に譲渡し、今季からはダーツ1本で生計を立てる、文字通りのプロダーツプレイヤーとなった。懸案だった長男の手術も成功し、家族は新たなスタートを切った。迎えた2月の開幕戦。準優勝の浅田がこれまでとは違った姿を見せる。

昨年までの浅田は、試合中に闘争心が強くなり過ぎているためか、試合に負けるとその負けがすぐには受け入れられず、不貞腐れて見える態度をみせることが多かった。が、この日は違った。

決勝の試合終了直後、浅田はPERFECT初優勝に喜びを爆発させる樋口雄也を笑顔と握手で祝福し、表彰式でも勝者を讃えた。

浅田の中でどのような変化が起こっているのか、知る由もない。が、もし浅田が激烈な闘争心を失わないまま、自己制御能力を身につけ始めているのだとすれば、今年の浅田は大化けするかも知れない。決勝でみせた姿は、自身が目標に掲げた「圧勝」の実現を予感させる振る舞いだった。シーズン後に振り返えったとき、開幕の準優勝が「勝ちより価値ある負け」になる可能性は大きい。

(終わり)

次回予告
飛び立ちたい、遙か高みまで。ダーツ界きっての理論家にしてセオリーを超越した戦術。その背反性は人生をダーツに賭けた男の執念と、未だ届かぬ栄光への渇望が生み出した。いつか真ん中に立ってやる!
Leg7 樋口雄也『翼を広げたアヒルの子』
どうぞお楽しみに!


次回は4月13日更新予定
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○ライター紹介

岩本 宣明(いわもと のあ)

1961年、キリスト教伝道師の家に生まれる。

京都大学文学部哲学科卒業宗教学専攻。舞台照明家、毎日新聞社会部記者を経て、1993年からフリー。戯曲『新聞記者』(『新聞のつくり方』と改題し社会評論社より出版)で菊池寛ドラマ賞受賞(文藝春秋主催)。

著書に『新宿リトルバンコク』(旬報社)、『ひょっこり クック諸島』(NTT出版)などがある。