COUNT UP!

COUNT UP! ―― PERFECTに挑む、プロダーツプレイヤー列伝。
―― PERFECTに参戦するプロダーツプレーヤーは約1,700人。
彼ら彼女らは、何を求め、何を夢み、何を犠牲に戦いの場に臨んでいるのか。実力者、ソフトダーツの草創期を支えたベテラン、気鋭の新人・・・。ダーツを仕事にしたプロフェッショナルたちの、技術と人間像を追う。
2014年5月19日 更新(連載第34回)
Leg8
ソフィスティケイトなスタイル そんなダンディの長かった苦闘のエレジー
谷内太郎

Leg8 谷内太郎(1)
「長かった」

PERFECTの広告塔

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PERFECT傘下の男子プレイヤーで、女性人気No.1は谷内太郎である。そう言って異論を唱える人は、そう多くはいまい。

190㎝の長身に端麗なる容姿。センス溢れるファッションに洗練された立ち居振る舞い。前職は男性ファッション雑誌メンズクラブのモデルだったと聞いても、大きな驚きはない。

加えて、温厚な性格に気さくな人柄。口を開けば故郷能登の訛りがかすかに残る関西弁で、嫌みがない。同じ男性として、天に抗議したくなるほど欠点が見当たらない。

13年の年間ランキングは、山田勇樹、浅田斉吾、山本信博、小野恵太のビッグ4に続く5位。人気実力ともに申し分ない谷内太郎は、PERFECTの広告塔だと言って過言ではない存在である。

勝てない

PERFECTが開幕した07年の時点で、谷内はすでにトッププレイヤーだった。プロツアー前夜の04年、国内の実力者が覇を競った「ストロンゲスト」で準優勝。それを機に、バレルメーカーの社員となり、事実上のプロとなった。翌年にはハードダーツの日本代表に選出されワールドカップにも出場している。

さまざまな事情があってPERFECTへの参戦は遅く、11年の第3戦(第2戦は中止)がデビュー。類稀な容姿とキャリアを持ち合わせたスタープレイヤーは鳴り物入りで参戦した。が、勝てない。

開幕戦を除く全戦に参戦した初年度は総合19位。優勝はおろか2度ベスト8に残るのがやっと。翌12年はトップ10の総合9位に食い込み、第13戦と第15戦で決勝の舞台に立ったものの、いずれもセットカウント0-2で惨敗。15戦の熊本では1レグも取れない屈辱で、「勝負弱い」「最終レグに弱い」というレッテルまで貼られた。

王者の山田も、実力者の浅田も山本も小野も、出始めの頃から知っている。その、かつては格下だった選手たちに歯が立たない。プロとしてスポンサーの期待が圧しかかる谷内には、もどかしく苦しい日々が続いた。

「涙が出てきそう」

参戦3年目の13年シーズン。地元横浜開催の開幕戦で3位タイと好発進した谷内は、第3戦北九州、第7戦横浜でも3位タイに食い込む好調を持続し、仙台での第9戦を迎えた。

仙台は実力者が序盤で次々と敗退する大荒れの展開となる。2回戦で山田勇樹と浅田斉吾が激突し、浅田が会場を去る。小野恵太も2回戦敗退。さらに山本信博がベスト16で、山田はベスト8で姿を消した。

番狂わせが続く中、山に恵まれた谷内は実力通りの安定した戦いで勝ち上がり決勝に駒を進めた。待っていたのは開幕戦準決勝で苦杯を喫した、12年総合ランク8位で、優勝の経験もある馬上亮一だった。

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「この日の自分の調子を考えると、接戦になるとは思っていませんでした」

3度目の決勝に自信を持って臨んだ谷内だったが、自身の青写真に反して激闘となった。

第1、第2セットは両者譲らず、互いに先攻のレグをすべてキープ。第3セットもキープ合戦が続く。最終レグのコークで、馬上に先攻を譲った谷内のチョイスはクリケット。

「01では先攻が圧倒的に有利だけれど、クリケットならワンチャンスをものにして、裏から捲れる」

「勝負弱い」と言われ続け、自分でもそれを自覚していた谷内は、強い気持ちを持って最終レグに臨んだ。

ZOOM UP LEG

2013 PERFECT【第9戦 仙台】
決勝 第3セット 第3レグ「クリケット」

馬上 亮一(先攻)   谷内 太郎(後攻)
1st 2nd 3rd to go   1st 2nd 3rd to go
T20○ S20 T20 80 1R S19 T19○ T19 76
T19● × T20 140 2R T18○ T18 T20● 130
× T17○ T18● 140 3R T16○ T16 S17 178
T17○ S16 × 191 4R S16 S17 T17● 194
S15 T15○ S16 206 5R S16 S15 D15● 210
IBL OBL D16● 206 6R IBL OBL

WIN
210
○=OPEN ●=CUT OB=アウトボード IBL=インブル OBL=アウトブル

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仙台決勝は最終セット最終レグも両者譲らぬ緊迫したゲームになる。

第1Rは馬上が20、谷内が19の7マークの滑り出し。第2Rの馬上は1投目に谷内の19をクローズするも、2投目はミス。3投目にトリプルで60ポイントを加点した。

谷内はすかさず18をオープンし、プッシュ。さらに3投目に20をクローズ。9マークで、ポイントビハインドながら優位に立った。

第3R。1投目をミスした馬上は2投目に17をオープンし3投目に谷内の18をカット。加点はできなかった。谷内はT16、T16でポイントオーバー。カットにいった3投目はシングルとなった。

早くも終盤に差し掛かった4Rは、それまでの熾烈な打ち合いから一転。重圧が両者にミスを誘発する。

1投目にトリプルで17をプッシュしポイントを再逆転した馬上は、谷内の16をカットにいった2投目がシングル、3投目はミスショットとなる。つけ入りたい谷内も決めきれない。1投目のプッシュはシングル、カットの2投目もシングルとなり、馬上陣17のクローズに3投を費やした。ポイントは191-194の僅差。が、陣地で谷内の優位は変わらない。

勝負処の第5Rに更なる重圧が2人に圧しかかる。陣地のない馬上は最後の15をオープンにいくが1投目はシングル。2投目のトリプルで15点を加えポイントオーバーし、谷内陣の16をカットへ。がダーツは1ビット外のシングルゾーンに吸い込まれた。

勝負を決めたい谷内も爆発できない。1投目のシングルで4ポイントオーバーしたものの、馬上陣15のクローズに2投を費やし、優勢ながら馬上に逆転優勝のワンチャンスを残した。

ポイント差4、オープン陣地は谷内の16のみという状況で迎えた第6R。馬上が勝つにはインナーブル2本とシングル16が必須。1投目はインナーに捻じ込んだが2投目はアウターに。3投目に16をクローズした馬上は、谷内のミスを待った。

3本でブルをクローズすれば勝利。谷内は初優勝の重圧を跳ね返し、2本でクローズし念願の1勝を手にした。

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「なかなか優勝できなかったんで、涙が出てきそうな感じです」

 試合直後のインタビューで谷内は、率直に心情を吐露した。
「長かったです。よかったです」

PERFECT参戦から実に2年半。苦悩の日々を過ごしてやっと手にした優勝だった。

周到な準備

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悲願の初優勝まで何度も決勝や準決勝の壁に跳ね返されてきた谷内は、「勝負弱さ」を克服するための練習を積み重ねていた。

最終レグはチョイスだから、コークで後攻に回ってもクリケットを選択できる。谷内は後攻のクリケットを想定して、プレッシャーのかかりにくい展開に持ち込む練習を何度も繰り返した。

谷内は解説する。「友人から教えられ、ポイント差の小さい20・19、18・17、16・15をブロックととらえ、ブロック内の打ち合いになるような展開を練習しました。後攻で、ブロックがずれて自分の不利なナンバーでの打ち合いになると、心理的に追い詰められていく危険性が高いからです」

馬上と死闘を演じた仙台決勝は、練習してきた通りの展開に持ち込むことが出来た。第1Rは20・19の打ち合い。第2Rは19をカットされ20と18の打ち合いになり、ブロックがずれかけたが、第3Rで17と16の、僅差の陣地の打ち合いに戻している。

試合中の心理状態について、谷内は「練習してきた通りの展開になったので、ポイントで負けていても、行けるんちゃうかな、という感じはありました」と振り返った。

初優勝の陰には周到な準備があった。

(つづく)


次回は4月13日更新予定
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○ライター紹介

岩本 宣明(いわもと のあ)

1961年、キリスト教伝道師の家に生まれる。

京都大学文学部哲学科卒業宗教学専攻。舞台照明家、毎日新聞社会部記者を経て、1993年からフリー。戯曲『新聞記者』(『新聞のつくり方』と改題し社会評論社より出版)で菊池寛ドラマ賞受賞(文藝春秋主催)。

著書に『新宿リトルバンコク』(旬報社)、『ひょっこり クック諸島』(NTT出版)などがある。