COUNT UP!

COUNT UP! ―― PERFECTに挑む、プロダーツプレイヤー列伝。
―― PERFECTに参戦するプロダーツプレーヤーは約1,700人。
彼ら彼女らは、何を求め、何を夢み、何を犠牲に戦いの場に臨んでいるのか。実力者、ソフトダーツの草創期を支えたベテラン、気鋭の新人・・・。ダーツを仕事にしたプロフェッショナルたちの、技術と人間像を追う。
2014年7月7日 更新(連載第37回)
Leg8
ソフィスティケイトなスタイル そんなダンディの長かった苦闘のエレジー
谷内太郎

Leg8 谷内太郎(4)
失われた4年。そして

PERFECTが産声をあげた2007年、谷内太郎は日本ダーツ界のトッププレイヤーの一人だった。ハードでは05年にWDFワールドカップ日本代表に初選出され、07年にも連続で世界と戦っている。

ドラスティックな変貌を遂げたダーツ界

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PERFECTは日本初のダーツのプロツアー。07年当時は他にプロの団体はなく、トッププレイヤーの大半が、それまでになかったビッグ・マネーと、ソフトダーツ日本一の称号を求めて、こぞって参戦した。

谷内も、もちろん、参戦したかった。しかし、できなかった。谷内はその理由を語らないが、所属していた会社の意向が働いていたと推察される。

プロツアーの登場で、ソフトダーツの世界はドラスティックな変貌を遂げた。それまでには、他のプロスポーツのように年間を通してトッププロが勢揃いして闘い、覇を競う環境が日本にはなかった。加えて、男子なら優勝賞金100万円前後の大会が年間20試合近く開かれ、年間総合ランクの上位入賞者にはボーナスが与えられる。さらに、トッププロに広告塔の価値を認めるバレルメーカーなどの企業は、スポンサーとなって選手を支援し始めた。それまで、好きだから自腹を切って大会に参加していたダーツが、職業として成り立つ可能性が広がり、夢が膨らんだ。

ある者は夢を追い、別の人は富を、あるいは名声を求め、真剣勝負する場が画期的に増えたことで、切磋琢磨する選手たちのレベルは飛躍的に向上した。そうした中で、山田勇樹、浅田斉吾、小野恵太、山本信博ら有望な選手が次々と現れた。

取り残された谷内

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その流れに谷内は、一人取り残された。

失われた4年。その月日に、谷内はあまりにも大きな代償を支払わされることになる。

2011年、4年遅れで参戦したPERFECTで谷内は衝撃を受ける。レベルが違う。ほんの数年前まで互角以上に闘っていた選手たちが、目の前で別次元のレベルのダーツを投げていた。

終わってみれば年間総合ランク19位。ダーツでは挫折を知らなかった谷内が初めて味わう屈辱だった。

谷内の戦いぶりを間近で見ていたプロダーツプレイヤーの門川豪志は言う。「太郎さんは悪いダーツをしていた訳じゃありません。みんなが、『太郎さんすげえ』っていうようなダーツをしていたんです。でも、突然、入らなくなってしまう。そういう場面を何度も見ました」

技術は折り紙つき。だが、場馴れした他のプレイヤーたちを前に、緊迫した場面で平常心を失ってしまう。失われた4年が、谷内に試練を与えていた。

前代未聞の椿事

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PERFECT2013年シーズン最終戦準決勝、谷内対山田。1レグオールで迎えた第3レグに、前代未聞の椿事が起きた。

第3レグのクリケットは谷内の先攻。が、あろうことか、後攻の山田が先にゲームを始めてしまう。観客のざわめきをよそに、審判も谷内もそれに気づかない。2013年当時のPERFECTのルールでは、山田が1本放った時点でゲームは成立。谷内は有利な先攻を失った。

第3レグは第4Rを終わって、両者陣地はなく山田138対谷内133の接戦。“先攻”の山田が第5Rに9マークで16、15を獲得して、16をプッシュし大勢は決した。勝負事に「たられば」は虚しいが、谷内が先攻であれば、結果は違っていたかもしれない。

レグカウント1-2で後のなくなった谷内は、後攻で第4レグの501を迎える。が、山田は先攻を譲り、谷内もそれを受け入れた。ルールにより両者に警告が与えられた。

ZOOM UP LEG

2013 PERFECT【最終戦 千葉】
準決勝 第4レグ「501」

谷内 太郎(先攻)   山田 勇樹(後攻)
1st 2nd 3rd to go   1st 2nd 3rd to go
T20 S20 T20 361 1R T20 S20 T20 361
S20 S20 S20 301 2R T20 T20 S20 221
S20 T20 S20 201 3R S20 S20 S5 176
S20 S20 S5 156 4R S20 T20 T20 36
T20 T20 OB 5R OB OB D18 0
WIN
OB=アウトボード

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第1Rは両者100Pずつを削ってスタート。第2R、先攻の谷内は60Pで、山田は140P。シュート力に勝る山田にリードを許し、苦しい滑り出しとなった。

第3R。谷内はシングル2本の100P。山田は崩れて45P。両者とも上がり目を残せず、差は縮まった。

第4R。今度は谷内は崩れて45P。山田は140Pを削る。残りは谷内156P、山田36P。差は開いたが、先攻の谷内にチャンスが残った。

迎えた第5R。谷内は1投目、2投目をトリプル20に捻じ込み、底力を発揮し見せ場を作る。残り36P。しかし、3投目はD18のワンビット上に外れアウトボード。谷内の年間総合3位取りの挑戦は終わった。

第4レグ第5Rを振り返った谷内は、再び、「弱さ」を口にした。

「1本目がT20に入った時点で、いけると思いました。2本目も同じ感覚で入って、この流れでここまで入るんだったら、(D18も)外れることはないだろうなと。3投目を放った瞬間も、そんなにずれてはないと思ったのですが、弱さですね。弱さが出ました。1レグもそうだったんですが、あそこで決められていたら、メンタルな部分で自信に繋がって、第4レグも入っていたんだと、思うんです。やはり、そこが課題です」

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2014年シーズンの開幕後、谷内がオーナーのダーツバー「Taro’s LOUNGE」でお会いした谷内は、予想に反して終始、穏やかで明るかった。年間3位と4強の座をあと一歩のところで逃した昨シーズンを振り返った時も、順調な滑り出しとは言えない14年シーズンについて語る時も、谷内は厳しさや激しさのかけらも見せなかった。小野恵太を取材したときに感じたギラギラとした闘志も、浅田斉吾の勝負への執着も、谷内からは感じられなかった。

生き馬の目を抜くような勝負の世界で生きる人とは思えない、人柄が滲み出た、拍子抜けするほどの明るさと穏やかさだった。

来年不惑を迎える谷内は、自分はこれからだ、と言った。

「自分は、ラッキーもあって、本当の実力を身につける前に名前が出てしまいました。だから、他の選手のように苦しみを知らなかったのだと思います。PERFECTに来て、苦しみを知りました。悔しい思いもしました。けれど、そこから上に這い上がる、その過程で本当の実力、技術だけではなく、勝負強さだとか、メンタルな力を培うことができると思うんです」

開幕前、契約するバレルメーカーのサイトで、今季の目標を年間王者と公言した。その言葉には、4年の苦節を経てどん底から這い上がってきた、谷内の自信と矜持が滲み出ていた。闘志は裡に秘めている。

(終わり)

次回予告
次回は大城明香利選手をおおくりします。
昨年度、初の全戦参戦で年間クイーンの座を射止めた大城選手は沖縄の出身。
その胸の内には、妖精のような可憐な容貌からは想像もつかない、自信と大志が漲っ
ています。
沖縄からPERFECTの絶対女王、そして世界の頂点を目指す大城選手の強さのルーツに
迫ります。
Leg9 大城明香利
「沖縄から。― via PERFECT to the Top of the World」
どうぞお楽しみに!


次回は4月13日更新予定
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○ライター紹介

岩本 宣明(いわもと のあ)

1961年、キリスト教伝道師の家に生まれる。

京都大学文学部哲学科卒業宗教学専攻。舞台照明家、毎日新聞社会部記者を経て、1993年からフリー。戯曲『新聞記者』(『新聞のつくり方』と改題し社会評論社より出版)で菊池寛ドラマ賞受賞(文藝春秋主催)。

著書に『新宿リトルバンコク』(旬報社)、『ひょっこり クック諸島』(NTT出版)などがある。